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zoom RSS 豊橋(その2)

<<   作成日時 : 2009/02/08 23:23   >>

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豊橋(その2)です。まだ豊橋(その1)をご覧になっていない方はこちらからご覧下さい。

続いて吉田城跡がある豊橋公園へ向かいました。
途中、古い蔵を見かけたので写真を撮りました。この辺りは戦争で焼けなかったのでしょうか?
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歴史的な略歴を見ると吉田城は最初今橋城とよばれていたようで一色城を本拠として今川氏の幕下にあった豪族牧野古白によって築城されたそうです。その後、近隣の豪族との抗争を繰り返し、天文15年(1546)になって今川義元が城代を置き義元が桶狭間で戦死すると、徳川家康が吉田城を取り酒井忠次を入れたそうです。天正18年(1590)家康が関東に入ると池田輝正が十五万二千石で入封し、豊川を背にして本丸を中心に二の丸・三の丸を配置し、掘を同心円状に取り囲む半円郭式縄張りに拡張したそうですが慶長5年(1600)に姫路に移封となったため、工事は未完に終り代わって入った竹谷松平氏は三万石の石高であったため、大城郭の計画は実現しなかった様です。その後、深溝松平・水野・小笠原・久世・牧野・大河内松平氏と代わり明治に至ったそうです。
吉田城には天守閣はなく、深溝松平時代に建てられた本丸御殿が宝永の大地震で倒壊するまでここにあった様ですが現在では再建された鉄櫓(くろがねやぐら)と石垣、土塁、堀などが残っています。

ここから本丸に入ります。
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本丸内部の石垣です。名古屋城築城の際、余った石を運んだようで所々築城工事を分担した大名や家臣などの印が刻まれた石があるようです。
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再建された鉄櫓(くろがねやぐら)(隅櫓)です。桜の季節は綺麗でしょね。
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豊川方向から見た鉄櫓です。この石垣の積み方は自然の石をほとんど加工しない野面積(のづらづみ)です。
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公園の案内板にあった明治初年の吉田城です。今とは違いかなり原型をとどめていたようです。
東西約1.4km南北約600mあったとされ東海道では駿府城、名古屋城に次ぐ大きな城だったそうです。
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北御多門跡です。ここから川に出る階段が続きます。
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吉田城跡から見た豊川と吉田大橋です。ずっと吉田城を眺めながら流れているのでしょう。
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吉田城跡を後にして豊橋総合動植物公園(愛称のんほいパーク)へ行きました。
なぜ動物園?って感じですが、行ってみたくなった訳があります。

動物の生態が見られる「行動展示」で全国に知られる人気スポット、北海道旭川市の旭山動物園がモデルにしたというのが、豊橋総合動植物公園のホッキョクグマのダイビングでした。
今や、年間26万人まで落ち込んだ入園者は300万人を超え、苦境に立つ動物園の再生モデルとして全国から視察が絶えない旭山動物園のモデルは以外にもこの豊橋総合動植物公園だったのです!
因みに角川映画「旭山動物園物語〜ペンギンが空をとぶ〜」(2009年2月7日全国ロードショー)の中で豊橋総合動植物公園が出てくるそうです。
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豊橋総合動植物公園は39.6ヘクタールの広大な敷地に動物園、植物園、自然史博物館、遊園地がある一大アミューズメント施設です。全部見てまわるには一日では足りないような気がします。
今回は、まだ行きたい所が沢山あったので他は次の機会にしてホッキョクグマのいる極地動物館を目指しました。

極地動物館入り口のフンボルトペンギンが気持ちよさそうに泳いでいました。
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続いてお目当てのホッキョクグマです。
チャッピー(♂)とクッキー(♀)とキャンディー(♀)の3匹が居るようですが、姿を見せているのは2匹だけでした。
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餌の時間ではないので心配しながらダイビングを待っているとザッバーン!
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凄い迫力でシャッターが追いつきません。
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本当は近くにいると怖いのでしょうが、ガラス越しなので可愛いです。
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サービス精神旺盛で、人の多いところを目掛けてダイブしてくれます。
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行動展示の素晴らしさが良く分かりました。旭山動物園が人気なのが良く分かります。
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この他、極地動物館には、ラッコやキングペンギン、ジェンツーペンギン、イワトビペンギンなどの極地ペンギンがいました。

他の動物の前をサラッと通り、遊園地の観覧車に乗って改めて広大な敷地と裕福な市政に感心し、豊橋総合動植物公園を後にしました。

続いて向かったのは、東海道二川宿です。
三河国最東端の宿場町である二川宿は、東海道五十三次中33番目の宿場で町並みは約1.3km、本陣と脇本陣各1軒、家数合わせて306軒、人数1,289の小規模な宿場だったそうです。

車を二川宿の静岡寄りにある二川八幡神社近くの駐車場に停め名古屋方向に歩きました。

東駒屋です。今でも手作りの醤油や味噌を醸造しているそうです。格子が立派ですね。
調べてみましたがいつの頃の建物かはわかりませんでした。
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駒屋です。文化11年(1814)に建てられた豊橋最古の商家で建築当時の商家の形式を残している貴重な建物です。東駒屋と西駒屋は分家でここが本家と思われます。
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写真にはありませんが、駒屋の前で東海道が鉤の手状に曲がっていました。後で調べると、曲尺手(かねんて)や枡形(ますがた)と言って大名行列との鉢合わせ防止などの理由で、宿場の中心にあることが多いらしいです。

駒屋の脇に通る瀬古道に入りました。かなり奥まで土蔵壁が続き、二川の有力者であったことがうかがえます。
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古い建造物が続きます。各家が大切にされていることを感じました。
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よく見ると各家に二川宿の暖簾がかけられています。観光客の多い宿場跡ですので雰囲気を盛り上げる様にかけているようでした。
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西駒屋です。駒屋の分家です。こちらも味噌・醤油の製造販売をいているようです。
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二川宿のメインとなる本陣跡です。
本陣とは江戸時代、公家・大名・幕府役人などが旅の途中、宿泊休憩した施設です。宿場の中央に大きな間口を占め、門・玄関・上段の間を備えた堂々たる建物であったとされます。
江戸時代後期の東海道には111軒の本陣があったようですが、現在は、滋賀県の草津宿本陣とこの二川宿本陣の2ヵ所しか残っていないそうです。
二川宿本陣は江戸初期に別の場所にありましたが度重なる火災などで没落し、現在の場所で馬場家が文化4年(1807)から明治3年(1870)まで本陣職を勤めたそうです。現在は改修復元工事をし、一般に公開され、主屋・玄関棟・書院棟・土蔵等などがあり大名や公家など貴人の宿舎の様子を現代に伝えています。
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裏にある受付で入場料を払って中へ。
左手に東土蔵(復元工事前は享保3年(1718)建造)中央に主屋、右手に書院棟が見えます。
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玄関から見た表門(本陣の正門)です。大名が通ったところですね。
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玄関棟にある中庭です。右手は雪隠(せっちん)トイレです。
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上段の間です。大名が休憩、宿泊する場所で、名前の通り一段高くなっています。
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上段の間横の庭です。
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少し戻って表門から見た式台と玄関です。
増築と改修をを何度も行った二川本陣は525坪の敷地に建坪が233坪半(771u)もあったそうです。
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続いて本陣に隣接する旅籠「清明屋(せいめいや)」です。清明屋は、江戸後期の寛政年間(1789〜1801)頃開業した旅籠で本陣の隣にあったことから大名行列が本陣に宿泊したときには家老などの上級武士の宿泊所になったようです。
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ミセニワ(奥への通路になった土間)とミセの間(街道に面した板間)です。人形のように旅人が足を拭いて疲れを癒したのでしょうね。
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ミセの間は、荷物置き場や、帳場に使われていたようです。
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この奥には、台所、一般客が宿泊した繋ぎの間、家老などが宿泊した奥座敷が続き、庭を挟んで土蔵と奥座敷が建っています。

本陣、清明屋とも所有者から豊橋市に寄贈され国指定の重要文化財建造物の改修工事に準じて行われ復元されたものです。復元工事により、築年の解明や構造が判明し、当時の間取り図を参考に現在の姿となり、一般公開となったようです。本陣の奥には資料館があり、東海道、二川宿、本陣の3つのテーマでわかりやすく展示がしてありました。

二川宿を出たのが午後4時前。まだお昼を食べていなかったので町並みを過ぎた所にあったうどん屋でかなり遅めの昼食です
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食事の後、気になっていた市電の終着場所にある赤岩口車庫へ行きました。
路面電車ファンの聖地のような場所です。7車両が一度に見れました。
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右手手前から3500形ヤマサちくわラッピング、3200形豊橋競輪ラッピング、3500形サーラグループラッピング真ん中3500形県民共済ラッピング左側は名古屋鉄道岐阜市内線・美濃町線から譲り受けた800形です。同じ車両が福井市内で走っているそうです。
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車庫の中から前日に駅前で見た「おでんしゃ」が出てきました。今夜も活躍です。
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車庫から出てきた「おでんしゃ」と赤岩口電停に停まっている3500形のジップドラッグラッピングです。
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市電を十分堪能して、お土産を買いに魚町にある文政10年(1827)創業のヤマサ本店に行きました。
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ヤマサの特選竹輪です。新鮮な魚の取れる三河湾に面した豊橋ならではの味です。
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最後にもう一つ豊橋らしい味をと思い菜めし田楽で有名な「きく宗」で夕食を食べました。
「きく宗」は、創業文政年間創業で約200年に渡り、東海道沿い(吉田宿)で「菜めし田楽」ひと筋のお店です。
田楽とは、炙った豆腐に味噌を塗ったもので、田植えの際に豊穣を祈って神に奉納した「田楽舞」に由来すると言われています。多分、白装束で田に入り舞うと田泥が身に付く姿と似ていたからでしょう。菜めしは細かくきざんだ大根の葉を混ぜ合わせたご飯で渥美半島では古くから大根が多く作られていたようです。
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デザートに人気メニューの粟ぜんざいを食べました。箸でよく混ぜていただきます。
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非常に素朴でヘルシーな夕食でした。

「きく宗」を出たのが午後8時前でした。往路と同様下道で音羽蒲郡ICまで行き東名高速、伊勢湾岸道、東名阪道で帰路につきました。

駆け足で様々なジャンルの街、建造物などを旅した今回の豊橋でしたが、あまり観光地とは思えない街にもその街の歴史が必ずあります。気になったところにはとりあえず行ってみる。そこには消え行く歴史が待っています。そんな気分にさせてくれた街でした。

今回出かけたのは2009年1月24日〜25日です。寒い日でしたが、天候に恵まれた2日間でした。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
街道沿いの街並みってイイですね。ゆっくり歩いて見ていると時間を忘れてしまいそう
我が家の近くにも東海道が通ってますが、昔の面影はほとんど残ってないです…
二川みたいな街並みはずっと残しておいてほしいものですね

で、やっぱり「ヤマサのちくわ」食べましたか
副隊長
2009/02/09 17:26
副隊長さんコメントありがとうございます。
江戸情緒あふれる町並みは日々減少しているのが現状です。よほど町並み保存でもしないかぎり難しいでしょうね。副隊長さんのお近くは江戸情緒は無いものの、繊維関係の会社などの明治、大正、昭和初期の遺構が残っていますよね。いつまでも保存されるといいのですが...
「ヤマサのちくわ」食べました!本店はいい感じでしたよ。
ゆきお
2009/02/10 01:14
豊橋にこんなグルメがあったとは!
METAL45
2009/02/10 19:12
シロクマ君かーわいい!
ダイブ、大迫力ですね!実物を見てみたいです!

歴史の移り変わりと言うのは儚いものですね。
僕が趣味で通う、鈴鹿の山奥も生活道として利用されてきた杣道が風化され消え行きます。
案じてもしょうがないよと山は笑っているようですが。


きゃべお
2009/02/10 23:57
METAL45さんコメントありがとうございます。
その土地土地の風土に合った美味しい食材、美味しい料理、美味しいお酒がありますね。旅の楽しみの一つですね。
ゆきお
2009/02/11 01:02
きゃべおさんコメントありがとうございます。
シロクマ君は写真の何倍も凄い迫力でした。
利用頻度が減った杣道は風化していますか。そういえば以前行った事がある奈良と松阪を結んでいた「初瀬街道」も青山高原辺りで草や立木に覆われ通れなくなっていました。
ゆきお
2009/02/11 01:13

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